タイトル | : Re^9: 国語 |
投稿日 | : 2002/09/09(Mon) 09:20 |
投稿者 | : 木魚 |
倉本先生、お許しありがとうございます。
Melodyさん、宜しく御願いします。
>(正直、私は国語をこういう風に、訓練で教えなければならなかった事は、実に不本
>意でした。でも、そうしないと、受験を決めた息子の
>目標を達成させてあげることができません。いろいろ悩んで、わりきって教えました
>。。。。。)
そうそう、これなんですよね。
Yahooなんかでも、特に国語は《教えること=考える機会を奪うこと》で、想像力を鍛える
にはかえって良くない、というような論調を見ますよね。
細切れの入試問題を解くということで、文章を愉しむという姿勢を失ってしまう、さらに
一番大切な興味を失ってしまうのではないか、など、受験勉強反対派の意見が至極正当に
見えます。
だから、そのような不利益をもたらさない国語勉強法は、読書しかないという結論になっている
ように思ってきました。
>慣れてくるとただ、書き写すだけの作業になり、親のチェックもいいかげん。
このあたりは、小学生には無理な側面もあり、いつも気をつけてやらねばと思っています。
>11月あたりからでしょうか。「国語がのびてきた!!」と思うようになったのは、
これは倉本先生の、《一を聞いて十を知る》という能力が付いてくる時期ということなのかな、
とも思うのですが、ここでふたつの考え方があるように思います。
一つは、6年11月の時点で、想像力・推察力(抽象化)がついてきて、出来るようになったのであり、
塾の方針に従うだけでも同じような結果だったのではないか、という仮説です。
もうひとつは、これは以前から抱いていた推論なのですが、国語に限らず算数でも、いろいろな雑多な知識が雑然と未整理のまま詰め込まれている状況が、抽象化の能力が育った段階で、ある臨界期
を境に整理されだすということではないのか、という考えです。
私のイメージはある磁性を持った棒をドンドン箱に投げ入れていく。ある時点からその箱に強力な
一定方向の磁性がかかることによって、棒が整然と整理されていく、そんな感じです。
>(例えば 1問20分で、解かせて、ミスチェックをし、話し合いをして、全体で4
>0〜50分?)、毎日(でなくても)続けたとしたら、
>必ず、6年の1学期には、国語は得意科目になっていると、私は思います!!あるレ
>ベルよりも うえを目指すということも
>十分可能なはずです。(私の独断ですが、、(^^;))
信じて、やってみたいと思っています。
>それと、志望校が決まっているなら、その学校の出題傾向を調べ、重点的に演習され
>るといいとおもいます。
これは、出題文の傾向ということでいいでしょうか。
今は、説明文のほうが弱いので、易しめの問題集から、説明・論説中心に演習してます。
>漢字、ことばのきまり、ことわざ、慣用句などもすこしずつやっておくと、あとが楽
>ですね。
早速、旺文社の「でる順、語句文法」を始めました。
>また、長くなってしまいました、、、。(^^;
>PSその2、息子さんのノートにミスチェックを書き込むときは、ギャグのエッセン
>スもお忘れなく!!(^^)必ずちょっとした、ギャグを書いておくと、子供は、チ
>ェックも含めて一生懸命読んでくれます。親も子も楽しみましょう!!(^0^)/
エ!!、それは難しい。