リレー執筆



シネマテーク・ジャポネーズ本史A
 

84年11月1日発行

第2弾「結晶の構造」のころ

 アンジェイワイダの「すべて売り物」(ポーランド、68年)に続いて、CJが自主輸入、公開したのは、クシシュトフ・ザヌーシの「結晶の構造」(ポーランド、70年)であった。
 時、あたかも80年。70年安保闘争から10年の歳月が流れていた。政治運動は沈滞し、映画状況は底をついていた。ただ、マイナーな形での自主輸入、公開作業は活発化する兆(きざし)が見えていた。
 それは、凋落する観客動員数のため、既存の配給会社の輸入姿勢に一作必勝主義がはびこり、少数者の意向を無視してきたことによる海外の映画情況との乖離に苛立ちをおぼえた日本のシネアスト(映画人、映画ファン)の商業主義への挑戦でもあった。
 キネマ旬報の資料を私流に分類してみると、71年には商業主義的配給会社対その他が221作品対4作品であったのが、81年には199対49にもなっていることからも明らかであろう。
 

多様化する自主輸入

 ここで、80年前後の自主輸入、公開作業の主なものを拾ってみよう。
 半官半民の色彩が強いドイツ文化センターによる西ドイツ映画の断続的紹介作業が、まず挙げられる。これによって新しいドイツ映画がいかに数多く我々の前に提示されたことであろうか。
 続いて欧日協会による、主としてドイツ映画の紹介作業がある。特に逸早く、ヘルツォークやファスビンダー、ヴェンダースを取り上げている。そして最近では、トルコ映画、スイスのアラン・タネールにターゲットを絞りつつある。
 アテネ・フランセ文化センターによるポーランド映画祭、ハンガリー映画祭、ダニエル・シュミット映画祭などは、一度にまとめて見れる機会を提供した点で、意義が大きい。ただ、ロイヤリティーの関係で、字幕が打ち込めない為、スライド字幕方式を採用しているのが難点ではあるが、パルス方式により字幕打ち込み方式と遜色ないものとなっている。
 また、単発の上映委員会形式では「声なき叫び」を公開した女性達の行動等もあるが、「第1の敵」上映委員会によるボリビア・ウカマウ映画集団の紹介は、特筆すべき作業であろう。これは、翻訳を業(なりわい)とする一個人が、旅行中に見た映画に魅せられて、製作者と交渉の結果、特異な条件で輸入した。それは収益金の全額を製作者に還元するというものであった。規制の商業理念を根底から覆す形式であろう。その後、彼はエルサルバドルの作品の紹介も行っており、「ラテンアメリカ映画センター」の設立を実現しつつあるようだ。
 その他、サトウ・サーガニゼーションによる未公開作品の輸入、イメージ・フォーラムによる実験・個人映画、タスク・インターナショナルによるチェコ映画、在日中国人、朝鮮人の諸団体が中心になった中国映画、朝鮮映画もある。最近では、国際交流基金による南アジア映画祭、アフリカ映画祭などもあり、映画の輸入は、商業主義的配給会社と、その周辺に巣くうプロたちの独占物から、完全に解放されつつある。
 

第3弾「一万の太陽」の発掘

 さて、CJ第3弾は、80年9月公開のコーシャ・フェレンツェの「1万の太陽」(ハンガリー、65年)であった。
 この作品は、大阪万博の時に字幕打ち込み上映されたが、買手がつかず大使館の倉庫に眠っていたのを、カトル・シネマの井上良氏が発見、買い取りに動き回った末に、16m/m化に成功したものである。故に純粋には自主輸入、公開と言うには疑問点もあるが、一般公開されるのはCJの手を経なければならなかった為、CJ第3弾と銘打った。
 その採録シナリオは名古屋・ナゴヤシネアスト(名古屋シネマテークの前身)が担当し、ハンガリー研究者、深谷志寿氏の協力により、資料の全くない作品の採録を行った。この作業を経て、フィルムセンターの作品解説の不完全さ(いいかげんさ)を発見する。
 

第4弾「一万の太陽」の発掘

 CJ第4弾として、82年1月にはウォィチェフ・イエジー・ハスの「砂時計」(ポーランド、73年)を公開する。
 この時点では既に、カトル・ド・シネマの実質的責任者は本庄晃氏から谷口幸雄氏に移っていたが、字幕・公開作業のかなりの部分を本庄氏が行うことになった。
 彼に取っては、「眼を閉じて」以降にたずさわってきた自主公開、字幕打ち込み作業の総決算であるとともに、自主上映作業の最後の花道を飾るものでもあった。
 

弱体化する東京カルト・ド・シネマ

 「すべて売り物」から、「砂時計」にかけて、CJに参加した各地の自主上映グループは、そのほとんどが収支を合せていないものと思われる。特に分担比率の高いカトル・ド・シネマにとっては、年毎に取り巻く状況の厳しさから莫大な(?)借財を背負う事になった。
 その状況とは、自主輸入・公開作品の増加による希少価値の低下、小映画館の進出とメジャー系のマイナー接近による同質作品の増加、カトル・ド・シネマ内の世代交替によるボルテージと行動力の低下などが挙げられよう。
 当然、それにつれて、東京の分担比率が50%から25%に低減し、名古屋、京都、大阪の分担比率は10%から15%に増加している。宇都宮、甲府、福井、福岡等も増額した。この間、広島の新規加入はあったが、札幌、徳島が抜け落ちた。特に札幌のピーチ・フラッシュは、上映しても分担金のほとんどを払い込まないという悪質な背信行為の故に、我々の営為に水を差すこともあった。
 

私にとっての上映活動

 私にとっての上映活動の楽しみの一ツに、人との出会いがある。限界点で活動する者にとっては、建前ではなく本音の部分で行動することが多い。そのような人との出会いは、実に楽しい。
 当然、既成の映画館からのいやがらせに対する反抗心と反撃心もある。自分の価値基準に対する証明でもあるだろう。その為、自からの価値基準をもって自主輸入・公開に取り組んでいる行為者と連携し、少なくとも名古屋においてはまかせられるだけの基盤を作り上げたいと思う。それが、名古屋に住む私の最低限の責任であろうし、それなくしては、既存の配給、興行システムに対峙し得ないと思う。その位置付けの中に、私とCJとの関係の一ツが存在する。当然、共同所有という形態も大いなる魅力ではある。
 

新たなる展開

 83年9月、イタリア映画「ポケットの中の握り拳」(マルコ・ペロッキオ、65年)が、CJ第5弾として公開された。この作品は、福岡シネアストが担当し、東京以外で初めて輸入、字幕作業が行われた。
 
■CJシネマテーク・ジャポネーズ
  映画新聞で、リレー執筆として企画されたものである。
  以下のテーマと執筆者によって終了した。
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C84.09.01 bS CJ公開作品リスト 景山理
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M85.10.01 17 CJグループ便りヤ 名古屋シネマテーク 倉本徹
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