フリーク83年1月号(82.12.01)

  60年安保が集団・組織の闘いであったのに対し、70年安保は個人及び個々人の内面の闘いであった。
 70年安保を闘った若者は、いまや三十代に達し、社会の中枢を形成し出している。それに対し、60年安保及びそれ以前に闘った者は、既に四十代、五十代を越え、その運動論も形骸化し、あらゆる現場で崩壊しつつある。
 例えば、(名古屋に限れば)共産党指導の下で、戦後まもなく起こった文化運動の映画関係での生き残りである「共同映画社」は、独裁的経営の結果、昔日の活力はなくなり、その体質を突く内部告発が起こり、あるいは、名演・労音等が中心になって設立
した「名演会館」では、経営上の失敗(別の噂もあり)で館長の追い落としが画策され、実行に移された。
 また、「名古屋無声映画鑑賞会」では、共産党員と自称する“偽”弁士・わかこうじが、借用フィルムを、売却する目的をもって無断ビデオ化し、ビデオショップに売り渡すという挙に出て、自らの首を絞める結果を招いている。
 これに対し、70年安保を何らかの形で経過した者の中には、既存の文化体制・政治体制を打破し、乗り越えようと、闘っている者がいる。そして、彼等の戦いは基本的には個の闘いであり、決して組織化される性質のものではなく、組織化された段階で、この闘いの精神は終焉する。
 だが、個の闘いを支える横の繋がりを創り上げることは、それぞれの闘いを継続させ、社会に影響力・発言力を持たせる上からも必要不可欠であろう。ここに名古屋シネマテークが他の文化運動・市民運動との共生を図っていかねばならない要因が隠されている。
 映画が映画だけの世界で完結することは、名古屋シネマテークが映画館の別動隊としての機能しか果たせず、状況を創り出す力とはなり得ない。映画を通して“私たちの人生がより深く、より透明に、より孤高に輝き続ける”ことは出来ない。
 何故なら、“真”の文化運動とは、自らの生き方・考え方をも問うものであり、それは市民運動・支援運動のもつ運動理念と、大きく異なることがないからでもある。人間が人間として生きる為には、他との関係性において、それを個の中に収束することが必要だからでもある。
 私が、あるいは、名古屋シネマテークが、そのような行動理念に基づいて動いているのか、と問われれば、返答に窮するかも知れない。しかし、少なくともそれに近づきたいという欲求は持ち続けているのである。
 映画興行の世界は、他の表現文化に比して、その利権関係が強く、商業主義化されている。さらに、発表の場・鑑賞の場は日常的に一応は確保されてもいる。その為、名古屋シネマテークが自由に使える作品数は限られ、話題性のあるものは既存の映画館、配給会社に取り上げられてしまっている。それは映画のもつ製作形態、資本投下額が、他の表現文化に比して、大掛かりである点に由来しているからである。
 どのように地道な紹介作業を続けてきても、又、人的関係を創り上げてきても、一時の話題性で、私達の営為が掠め取られる運命を内在している。その時、指を喰わえ、愚痴を言ってもはじまらないし、時の過ぎ去るのを待つのも空しい。それを繰り返さない為には、自らの力を堅固に、協力なるものにする必要がある。
 それは取りも直さず、動員力の問題に帰結するかも知れないが、単なる数の問題ではなく、自らの価値基準で、自らの意志で集まり、自分の置かれた位置を確認し、反発することの出来る人間が数多く集まらねばならない。
 そのことによって、作品と見る側の緊張関係が生じ、さらに上映する側へと波及する。私達が望むものは、映画を通して社会(状況)との緊張関係の創造であり、自らの人生がより深く、より透明に、より孤高に輝き続けることが出来る状況を、創り上げることである。
 輸入形態の多様化、独立プロの隆盛等によって、既存の映画プロ達の独占時代が終焉しつつある今日、私達の出番が到来する日は、そう遠くはない。その時、映画は一つの武器となって、迫りくる右傾化の波に対峙することが出来るであろう。