大阪プレイガイドジャーナル
82年8月号 134

 自主上映を一度でもやったことのあるものなら考えたことがあるだろう。自分たちが好きなときにいつでも上映会を開ける場所があったら、自分たちの劇場があったらと。そんな夢を実現した自主上映グループが名古屋にある。ナゴヤシネアストの連中だ。6月27日、ナゴヤシネアストの常設館名古屋シネマテークがオープンした。16_ははもちろん35_映写機もそなえた座席数60のミニシアター。場所は名古屋の繁華街今池の今池スタービル2階の1室。部屋の広さは125平方メートル。82平方メートルが映写室と客席に。残り43平方メートルに事務室、談話室、資料室がある。スクリーンの大きさは縦1.5メートル横3.5メートル。
 この名古屋シネマテークをつくるために奔走したのがナゴヤシネアストのリーダー倉本徹、37歳。職業は塾講師。名古屋の映画好きで彼の名前を知らない人はもぐりといえるほど自主上映会を数多く手がけてきた。名古屋大学映画研究会時代の71年1月の大島渚特集に始まり(ナゴヤシネアストの名称は73年9月より)今日まで、卒業後就職し退職するまでの8ヶ月(その間、他のメンバーが活動をつづけた)は手をひいたが、内外の旧作や一般劇場で上映されないいわゆる非商業映画など、多い年には100本近く上映してきた。この11年間には、倉本ひとりで活動をつづけてきた期間が数年ある。
倉本「浪人を5年やってましてね。そのうち2年を東京ですごし、そのころ、映画をたくさんみたんです。で、大学に入学し名古屋にきたら、みたい映画がみれない。やってないんですよね。それなら自分たちで上映しようと。それからい今まで、そして今後も上映作品の選定は自分たちがみたいものをと」
 自主上映会はもうかるものじゃない。ナゴヤシネアストの活動もご多分にもれず、ここ5年間、1年平均100万円の赤字を出しつづけている。倉本さはもうやめようと何度も思ったそうだ。“小川プロ全作品+「怒りをうたえ」”上映会を催していた79年お正月、倉本は胃痙攣で救急車のお世話になる。
倉本「そのときですね。ジプシー的な上映活動をつづけていては、体力的にもう無理だ、常設館がほしいと思ったのは。それにジプシーでは固定客もつかないし、ホール等をおさえるのは半年前に予約する必要がある。半年後の企画をたてるのはたいへんだし、不意にはいってきた作品を上映するなんてことも無理ですからね」
 部屋を借りるための権利金をためようとしていた倉本は、昨年、きわめて条件のよ貸室をみつけ、そこで上映室にするための費用へのカンパを、ナゴヤシアストの活動にかかわってきた人たちに郵送等で呼びかけた。その反応がよかったので、呼びかけをひろげ、上映会でチラシくばりをする。ひと口10万円のカンパを。そして50人からの申し出があり800万近くの金が集まり3月に工事にかかった。
倉本「今までよくやってきた、おまえがやるなら出すよと。うれしかったですね。しかし、ここまで集まるとはね。名古屋の文化にかかわっている人たちは、よう集めないと思っていましたからね。びっくりしてますよ」
 倉本はカンパの最高額を50万円までと決めていた。それは倉本自身が出せるのが50万円で、それ以上の金を出されて口を出されるのがイヤだったため。最高額50万円を出した人は5人いる。教師が3人。医者が一人。会社員が一人。出資者のなかには夫婦で70万を出した人もいた。出資者は愛知県内だけではなく、北海道そして沖縄にもいる。倉本の11年間にわたる上映活動でできた人脈によるものである。今年、北海道大学に入学した学生は新聞配達のアルバイトでためた10万円を送ってきた。6月26日夜、名古屋シネマテークオープニングパーティーがひらかれた。出席者には出資した人もいて、その人たちの話もきいてみた。
30歳の電気技師「倉本さんの上映活動には感謝していたし、名古屋にこういう劇場ができるのはうれしい。お金を出したのは、倉本さんの人間の魅力に対してでもありますね」
62歳の主婦「私は主人の仕事の関係で東京から名古屋にきたんです。もともと映画がすきでたくさんみてたんですけど、名古屋は劇場が少ないし、みたいと思っている作品が上映されない。それで、倉本さんの上映会にはよくいってました。こんな劇場ができたらいいなと思って出資しました。趣味が映画だけでアクセサリーや旅行にも興味がないし、ふたりの娘もみなお嫁にいきましたね(笑)」
ナゴヤシネアストのメンバー「映画を作るからカンパをといったら、こんなに集まらないでしょうね。創作は個人の営為だから。上映館ができることは、出資した人に確実に還元されることですからね」
 出資者には3ヶ月に1回、招待券がわたされる。これに対して出資者の会議で次の声がのぼった。
「そりゃおかしい。わたしたちは招待券をもらうために出資したのではない。こういう劇場がほしいから出したのであって、招待券はもらってもいいが、それで、赤字になって名古屋シネマテークが維持できなくなることのほうがたいへんだ」
 結局、出資者のなかにはみかえりを期待している人もいるので、3ヶ月に1回の招待券は決定した。反対した人に対して、倉本は、招待券を使わないなら、名古屋シネマテークを知らない人にあげて口コミの宣材に使用することを依頼した。
 名古屋シネマテークの運営メンバーは現在7人だが、最終的には12人にするそうだ。祭日は上映するが原則的には金土日を上映日にし4人づつのチームを3つ作り、1日をひとチームが担当する。その際、ひとりは休む。そすれば、一人が仕事をするのは月のうち3日となる。倉本はメンバーが上映作品を観賞できかつ体力的に無理がでないようにするために、このシステムをつくった。
倉本「メンバーはこれでメシを食ってるわけじゃない。ぼくにしろ仕事がある。休みをまるまる名古屋シネマテークの仕事にあてては、自分の時間がなくなる。するとどこかでショートしますからね」
 自主上映グループが自分たちの劇場を持つことは、上映するほうにも観客にも、最終の上映時間を遅くできる。長期のロードショーができる等の様々のメリットがある。しかし、名古屋シネマテークはできたからバンザイというわけにはいかない。金銭の面ではホールをかりていた頃より大変だ。倉本の計算によると、毎月80万の金がかかる。そのためには1日に120人の観客動員が必要。名古屋シネマテークが維持できるかどうかは名古屋の映画好きの手にかかっている。
倉本「ぼくたちは今まで、名古屋の映画状況の穴埋め作業をやってきた。しかし、これからは打ってでますよ。全国先行ロードショーをやったりしてね」     (文中敬称略)