プレイガイドジャーナル
79年4月号
(79.2.28)

既に3ヶ月が過ぎた我々が最後の年、79年。
この年代に生きた我々にとっては、もはや80年という年代はないのだ。
71年1月に大島渚の『愛と希望の街』『日本春歌考』を旗揚げ公演(この時は大学映研主催)してより、8年。その大島も今は我等の世界にいない。どこでどう狂ってしまったのか、我が人生。よくぞこの70年代の全てに生き恥を晒すことが出来たものだ。
70年前後より活動を開始した種々のグループのほとんどは、既に姿を消している。『灰とダイヤモンド』のシーンではないが、ウォッカを燃やして追悼しよう。名古屋自主上映センターに1ツ。うたのやどに1ツ。YAGOに1ツ。紅蓮都市にも1ツ。七ッ寺の元留守番隊長二村利之にもおまけで1ツ。

残されたのは、TPO師★団、センチメンタル・シティ・ロマンス、本誌プレイガイドジャーナル、そして我がナゴヤシネアストなど数える程しかいない。さあ、次は誰の為にウォッカに火をつけようか。
本題を逸れた。今や泣く児も黙る天下のシネアストではあるが、活動当初など実にカワユイもの。16m/mと35m/mの違いも判らず、ましてや、どこにフィルムがあるかも知らず、映写機のランプなど文明の利器であるが故に、半永久的に使用出来ると信じて疑わず。あの頃は若かった。行動することに生き甲斐を感じて、我武者羅に振る舞っていたのだから。
それにつけても、実によく入った。大島渚で500弱、チャップリンでは何と750も集まった。ゴダールをやろうものなら1000人は動員出来た頃だ。
しかし、現在はどうか。昨年7月の『男性・女性』(J.L.ゴダール)で300、『すべて売り物』(アンジェイ・ワイダ)になると、200弱しか集まらない。あの頃ならば・・・・・・愚痴ってみても仕方が無い。この傾向は自主上映に限らず、映画館の観客数にも現れているのだから、映画そのものが駄目になっているのかも知れない。
その原因を一概に嗜好の多様化、娯楽施設の拡充などの為と決めつけることは出来ない。このような外面的要因よりも、製作者側の安易な姿勢にこそあるのではないだろうか。ミーハーをパートナーに選んだことが、抑もの間違いであったのだろう。確かに、若さの瞬発力は凄まじい。しかし、所詮、ミーハーでしかない。持続性がない。拘りがない。映画をファッションと勘違いしている(松田政男もその一人だが)。そのような輩にながーいお付き合いなど期待出来ないのだ。この層を唯一の相手と考えたのが間違いのもとであったのだ。
では、ナゴヤシネアストはどうか。怒りを忘れたミーハーの動員・動向には興味がない。が、年少者の入会が少なく、会員の平均年令が27.7歳と高齢化し、既に某大学映研内での老人会視されている現状を考えると、この層を全く無視してしまうことは、行く末、じり貧の憂き目を見ることは明らかであろう。この為、経営学上、彼等へのアプローチだけは試み、映画予備軍の育成をも考えねばならない。
我等が幼少の頃には、まだ名画座などでは島津保次郎や成瀬巳喜男、衣笠貞之助、小津安二郎などの作品が掛かっていたものだ。彼等の作品を通じて、某ビールのCMではないが『本当の映画のよさを知ってしまった』我々が、最近の虚仮威しの宣伝合戦に踊らされて映画に失望を懐いた若者に、本当の映画を伝える必要ないだろうか。
映画館や地方自治体の文化政策などに大きな期待が懸けられない以上、我等が乗り出さねばならないのだ。
このように書いてくると、我々を教育者、回顧趣味者と思われるこも知れない。我々は端から人様を教育しようとか、映画を回顧しようなどとは思ってもいない。
映画がその時代の状況を写す鏡である以上、映画はその時代とともにあらねばならない。我々が小津や溝口を上映するのは、彼等の作品とその時代の再確認であり、彼等の作品を通じて現在の我々の生き様を検証しようとするからに他ならない。
上映の全てが、己れ自身の為のものであり、人様に観てもらうのはそのお零れに過ぎず、慈善事業をやっている訳ではないのだから、赤字負担の軽減も重要なことだ。この意味で、シネアストにとってもやはり“お客様は神様”となってしまうのだが、ただ一般興行と異なるのは、自分の観たい作品を上映することを第一義に考えている関係上、収支決算を二の次に置いているだけに過ぎないのだ。
昨年4月から始めた評論活動にしてもそうだ。既成の映画批評家と呼ばれている映画評判家が、自分の生活を守る為にか、十分その真意を伝えない以上、我々がその代替とならねばならないのだ。我々の内から生じる情況と映画に対する言い知れぬ憤怒を表出する機関を自己の手の持たねばならないからだ。東京からの一方通行に終わっている情況創造を、我々の側から突き付けていかねばならないからだ。
今年は70年代最後の年である。昨年にも増して全力疾走してみよう。80年に希望はない。我等の子供が成人する2001年に夢を託して。