朝日新聞92年6月5日

副題
作品と企画で存在価値

厳しい状況、生き残り模索

 ホールなどを借りて行ってきた自主上映歴11年間の経験を下敷きとして、名古屋市の今池に自主上映館「名古屋シネマテーク」をオープンしたのは、十年前の1982年6月26日のことである。
 ホール上映の体力的なしんどさと、増加しつつあったマイナー系(個人規模の配給会社)作品群への対処、名画座の不在によって欠落していた旧作の上映、及び、数日しか公開されない記録映画を長期上映したいとの思いから、常設小屋を持つことを決心した。ただ、見たいと思う映画を上映するとの自主上映の趣旨が、経費の固定化で崩れてしまうのではないかとの危惧を抱きつつ、ではあった。

 「名画の死蔵許せぬ」

 設立に当たっては、多額の改装資金及び運転資金を必要とするため、次のような呼び掛けを行った。
  「・・・私に人生を教え、関心の切っ掛けを与えた様々な映画を、単に商業主義の名の下で死蔵し、廃れさせることは、私には許されない。私の出来る範囲で目一杯、その潮流をくい止めることが、私の仕事であると・・・」
 今読みかえせば気恥ずかしく感じる部分もあるが、十年前も今も映画を消費財とみなす商業主義が跋扈(ばっこ)している中で、大筋においては、その気持ちは変わっていない。
 そして、持続の保証も返金のあてもない呼び掛けに対して、百数名の人が計一千万円を超える資金の提供で応えてくれた。それまでの十一年間に対する餞別だったのかもしれないし、名古屋に自立したスペースの必要性を感じたからかもしれない。また、「文化果つる地」に一花咲かせたいとの想いからかもしれない。
 いずれにせよ、そのような有意の人達に支えられて当館は船出した。
 この十年、映画をとりまく状況は大きく変化した。ミニシアター(単館ロードショー館)の隆盛、ビデオブームの到来、CATVの普及、衛星放送の開始などである。
 ミニシアターの隆盛は趣味の多様化と相まって新しい映画層の開拓、すなわち、カルチャーとしての映画ファンを掘り起こし、ビデオブームと連動して世界中の様々な映画を紹介したが、一方では映画の紹介作業を非営利(趣味的)に細々と行ってきた自主上映団体の崩壊をも招いた。
 ビデオブームの到来はバブルによる金余り現象と軌を一にし、その崩壊とともに終息に向かおうとしている。しかし、その爪跡は大きい。ビデオ販促のために映画館をショーウインドー化し、保証興行(配給会社及びビデオ会社が映画観の経費を保証する興行形態)を行って自立の精神を失わせた。また、買いあさりによって作品の枯渇を招き、配給権の高騰が自分の感性を大事にして作品を選んでいるマイナー系配給会社の基盤を危ういものにしてしまった。
 そして、CATVの普及や衛星放送の開始は映画興行そのものの息の根をまさに止めようとしている。特に衛星放送の場合、全国を一局でカバーでき、出力さえ上げれば東南アジアのどこからでも電波は届く。言葉の障壁さえクリアできれば、リアルタイムの観賞が可能だ。このことに一番の危機感を持っているのは地上波テレビ局かもしれないが、映画興行にも波及してくるだろう。

 映画興行衰退に拍車

 諸々の事象が絡みあいながら、映画興行の衰退に拍車がかけられている。「キネマ旬報」二月下旬号で紹介されている岡田茂・日本映画製作者連盟会長の「ローカルに復興の手段なし!」との発言にも象徴されるように、地方都市では映画館の閉館が加速し、東映が直営館をカラオケボックスに転換する動きがある。今や生き残れるのは、大都市の繁華街にある映画館と百貨店やスーパーなどの客寄せパンダとしての映画館、及び、ミニシアターのみと言われるほどだ。そのミニシアターも淘汰の時代に突入しようとしている。
 名古屋は東京に次いで作品の紹介率が高い。それは、JR名古屋駅西口に83年にオープンした「シネマスコーレ」及び当館が既存の興行会社に属しないため、収益を第一義に考えず、劇場のカラーを大切にしながら小粒な作品を集めて企画上映出来ることによる。だが、それも難しくなってきている。数は多いのだが、個性的で良質の作品が少なく、独自性が発揮しにくくなっているからだ。
 その独自性が発揮できるのは、今や収支にとらわれることなく企画できる公的機関(名古屋市美術館、愛知芸術文化センター)のみかもしれない。

 打開へさまざまな策

 自主上映館として発足した当館もいつのころからか初公開物が中心となり、多少は変わってはいても普通の映画館と峻別できなくなった。持続を優先するあまり、どうしても情報の発信源である東京の流行に左右されてしまう。それらを打開するため、映画資料室の開設、来館監督の講演集の発行、八ミリ映画講座などを行ってきたが、あくまでも上映作品と企画の機動性で勝負することが大切だ。見たい映画、見てほしい映画の必然性をキチンとさせて、いつでも上映できるようにならなければ、その存在価値はない。十周年を機に一度、原点に立ち戻ることが必要なのかもしれない。