中部讀賣新聞87年6月26日

副題
他館の上映方針変更で競合状態も

 今池の繁華街の、とあるビルの二階が空いているという話を聞いたのは、1982年の一月であった。貸しホールを使って自主上映活動を続けてていた私たちは、常設の小屋(映画館)を持ちたいと思い始めていた。そして、なんとか百人以上もの有志の資金提供を得ることができ、席数四十余の名古屋シネマテークは、82年6月27日に設立の日を迎えた。
 三年間は面倒みよう、という約束は、実をいえば三年もてばよい、との裏話もあるほど、前途は真っ暗であったが、いつのまにか、五年の歳月が流れた。ここまで持続できたのは、積極的に参加してくれた観客、労を苦ともしないスタッフ、物心両面で支えてくれた団体、個人のおかげである。
 特にスタッフに対しては、維持運営が優先し、面白そうでやりたいけれど、かなりの赤字が見込まれる企画はボツにする等、ユニークさや若さを十分に発揮する場面が限られていた点で、申し訳ない、と思うことも度々であった。
 予想通り、といってはなんであるが、最初の二年半は、全くの赤字続きで、閉館の危機に面していた。ところが、そこで思いもかけぬ出来事が起こった。84年11月に上映した「アントニー・ガウディー」である。
 勅使河原宏監督のこの作品が五千四百名を動員したのである。ガウディーの建築物を紹介しながら、数奇な運命をたどったスペインのこの建築家をたたえた作品は、映画として特筆すべき点はあまりみられない。ただ世紀末ばやりの時代を反映してか、スペイン・ブームの先駆けともなったから面白い、サクラダ・ファミリアという大聖堂の建築途上に倒れたガウディーは、まさしくシネマテークの救世主だった。
 85年に入ると、「ヴィデオドローム」「ストップ・メーキング・センス」など、カルト・ムービー(少数だが熱狂的ファンの存在する映画の意)が、若きスタッフの企画によって、一応の成功を収めた。嗜好の多様化が、映画の世界にも浸透していることを実感する。同時に、小劇場の運営は何らかの個性(特色)を出さなければならない反面、新しいものへの貪欲な好奇心を失っては今の世の中では生き残れないことも分かってきた。
 しかし、うれしい誤算ばかりではなく、期待していた作品、ぜひ見てほしい作品がこけることもしばしばで、泣き笑いを繰り返しながら、なんとかやってきたという感じである。企画をスタッフと考えるのは、本当に頭が痛いが、好きで始めたのだからと、自虐的に楽しむことにしている。
 さて、話を外部に転じてみよう。
 この五年間に映画の輸入状況は大きく変化した。一つは、個人規模の配給会社が数多く出現したことである。
 例えば、この七月に当館でも上映する「彼と彼」のGAGAであり、「アダージェット」のPCLもその一つである。彼らはまだ未知数ではあるが、五月に上映した「盗まれた飛行船」のケイブル・ホーグは、これまでにかなりの実績を残している。特にブラジル映画を紹介したことを買いたい。
 二つ目は、有線テレビへの供給と、ビデオ販売用にと、商社等の異企業が映画の配給権を買いあさっていることである。そのため、配給権が高騰し、これまで地道に輸入作業をやってきた小さな配給会社は思うように話がまとまらないという。ちゃんと上映してくれればまだよいのであるが、いまだ上映された試しがない。
 三つ目は、既存の配給会社がビデオ販売のついでにリバイバル公開を積極的に行ったていることである。これにより、遅れてきた映画ファンは、かなりの古典的名作を見られるので喜ばしい。
 四つ目は、大手配給会社の作品でも入るものが少なくなってきたことである。このことは、先にも述べたように嗜好の多様化の表れであろうか。そのため、小粒な作品の輸入を積極的にやろうとしており、個人規模の配給会社と競合する場面もあるという。
 このようにして、映画の配給現場は群雄割拠の状態にあると言えよう。生き残るのはどこか。一時、シネマテークも一年に一作品ぐらい輸入してみたいと思っていたが、今は静観する以外なさそうである。
 では、シネマテークを取り巻く名古屋の映画状況はどうであろうか。輸入現場と同様にそれなりの変化を遂げている。それは、競合相手の出現であり、他館の上映方針の変更である。
 シネマスコーレが、いわゆるピンク映画中心から洋画も上映するようになったこと、ゴールド劇場が、いわゆる芸術作品中心になったことなどである。
 そのため、作品の取り合いということも起こりだした。前者の場合は某映画監督の持ち小屋であるため、独立プロの新作は監督ルートで負けることがあり、後者の場合は小屋の規模で敗退する。その結果、上映したい作品であってもできないことが度々ある。名古屋の映画ファンには喜ばしいことではあるが、逆に、シネマテークにとっては特色を出せず苦渋をなめることになる。
 見たい作品を自分たちの手で、自分たちの館で上映しようという思いで始めたシネマテークだが、見たい作品と上映したい作品、また、上映する作品と上映できない作品との間に生じる不協和音は時として大きくなる。一寸先は見えても先は霧の中という航海にも似て、羅針盤は役に立たず、船長自身にも行き先は見えない。しかし、もはや船を下りることはできない。どれだけの人を乗せることができるのか。もうしばらくは、この船を先に進めていこう、と思っている。