中部讀賣新聞83年6月7日
副題
埋もれた世界の作品、73編を初公開
名古屋での出会い・・・ 昨年、鳴り物入り(?)で登場した自主上映館・名古屋シネマテークは、この六月で一年を迎えた。 その間、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、西ドイツ、フランス、スイス、南アジア諸国等の新作を紹介し、中南米はボリビア、エルサルバドルの作品も七月には公開する。そして、今、話題の記録映画「ニッポン国・古屋敷村」の三週間ロードショーを決行中である。 一年間での初公開作品は、50作品(中短編を含めて73)を数え、旧作を含めると、160作品(同、248)となる。数の上だけの問題ではないが、日本で顧みられることの少ない世界各地の作品が、これほど名古屋で見られる機会に恵まれたことは自褒めではあるが、当館設立の意義あるところと、高く評価している。 客と現場“生の会話” また、製作現場からは、羽田澄子、深尾道典、松本俊夫、加藤泰、前田陽一、土本典昭、小川紳介各氏の来館・講演もあり、観客と現場との“生”の会話を設営できたことは、私たちにとって大いに励みとなった。さらに、今年九月には、イタリアのベロッキオ監督の来館も予定されており、さらなる活動を期待されたい。 その反面、当然ではあるが、一年で赤字幅は優に百万円を超えた。その穴埋めは、八十数名の設立資金提供者及びカンパ等の予備金によってなされたが、現在は、その予備金も底を突き、日ごとに運営は厳しき状態に置かれている。 赤字歯止めに見通し だが、当初は月三十万円を超えた赤字も、最近では減少傾向にあり、赤字の歯止めの見通しがつきつつある。これも、幾多の人々の資金面等での協力、及び、学生を中心としたスタッフの日常的な働きがなければ、不可能であったろう。 今後は、黒字運営に転ずる努力と、次なる展開のための資金作りをせねばならない、と思っている。それは、いまだ見ぬ世界各地で作られている映画たちとの出会いを増やすことであり、恒常的に自主輸入することであり、献身的に動いているスタッフらの“真”に見たい作品を、金銭的制約なく企画できる基盤を作ることであり、“真”のシネアスト(監督、批評家、映画ファンなど)が大きくはばたいていくことである。 革命的な映画情況を さらに、全国の自主上映の仲間からの熱いまなざしにもこたえる必要もある。それは、自分たちの生活の場に専用スペースを持ちたいという欲求が、当館の出現により、実現の可能性が生じたためである。 岩波ホールにしろ、シネマスクエアとうきゅうにしろ、フィルムセンターにしろ、これらは、官公庁及び企業活動の一環であり、決して彼らの等身大の目標とはなり得ない代物である。 だが、名古屋シネマテークの実現の経緯は、彼らの努力によっては作ることの出来る射程範囲内にあることを示唆している。そこに、他の小映画館と名古屋シネマテークの根本的差異があり、当館出現の意義がある。 そして、当館が成功すれば、他の都市でも同じようなスペースが次々に生まれ、その時、既存の映画形態を根底から覆す、革命的な映画情況が作られることであろう。 今、苦しくとも明日へ 会場レンタルによる上映(ホール上映)が、いかにしんどい作業であり、非生産的であるかは、継続した活動(映画に限らず)に携わった者であれば分かっていただけよう。専用スペースを持続し、維持するための金銭的、精神的、肉体的疲労は、ホール上映のそれに勝っているかも知れないが、ホール上映の時のように、将来への設計が絵にかいたモチのごとくむなしさの中に消え去ることはなく、未来への一歩を、確実に進んでいくことが出来、この意味でも、名古屋シネマテーク設立の意義は、大なるものがある。 今日は苦しくとも、明日への確かなる夢の実現を目指して、スッタフ一同、さらに努力していきたいと思っている。 |