中日新聞78年11月9日(きょうのいす)


 大学映画研究会主催で”自主上映”を始めて、7年が過ぎた。その間に取り挙げた作品は225本(名古屋初公開作品27)を数えるが、今年に入ってからの作品数は63であるから狂気のさたと言わねばならない。
 名画座で1週間2本立て上映するとして、2年分をこなしてきたことになるが、実感としてそれ程上映したとは思えない。
 それは何かと考えると、一作品一作品それなりに価値があるとしても、結局、真から好きになれる作品、自分がのめり込めるような作品にそう多くは接し得なかったからかもしれない。
 私の上映方針としては、まず自分がみたいかどうかを一番大切にし、動員出来るかどうかは二の次である。本来、自主企画はこうあるべきだと思うのだが、利潤追求に走ってしまったり、逆に教育的になり、だれかのタメにするのだ、といった発想で行ったりする場合が多い。
 したがって、運営はいつも楽ではない。好きなことをやっているのだから当然だと思っても、やはり来ない観客にグッってみたりする。なぜ、こんなすばらしい映画をみに来ないのか。あなた方は映画が本当に好きなのですか、と。
 映画は、版権問題などから、私の最も見たい作品のほとんどは、すでに日本には残っていない。アラン・レネの『戦争は終わった』をもう一度みたい。『8 1/2』も。『赤い砂漠』も。
 そしてわずかに残っている作品の中で、適当なテーマを決め、動員予想をたて、それに見合った会場を探し、入場料を決定して、チラシを作る。この間の作業が、自主上映の行為の中で最も充実感がある時であると共に、反面、苦痛の種でもある。なぜなら、上映後の赤字の心配もさることながら、適当な会場がないからである。
 大きな会場は、それなりにあるのだが、私たちの求める会場は200のキャパシティーさえあればよい。しかし、名古屋の文化行政を裏で支えるエセ文化人の頭の中にある文化の動員バロメーターは、千人を単位にしているのだから、始末は悪い。
 このような閉塞情況の中に一条の光が射し込んできた。『灰とダイヤモンド』や『パサジェルカ』などを世に出した一連のポーランド映画が、私たちと同じように東京で自主上映しているカトル・ド・シネマの熱意を持った粘り強い交渉の末、ノン・コマーシャル(非商業形態の上映に限る)による契約に成功。これによって、自己の忘れ去ることのない体験への“こだわり”を見事に表現した、いわゆる《ポーランド派》の作品群が私たちの手に入り、これをバネとして、各地で自主上映しているグループが集まり、一つの集合体を組織。その自主輸入の第一弾としてアンジェイ・ワイダの『すべて売る物』(68年製作)を今年9月に初公開できるまでになった。
 既成の配給会社に私たちの映画を多くは期待出来ない以上、自分たちの手で輸入するほかなく、今後の私たちの自主上映は、今までのレンタルによる弱者としての借り手から、一歩、新しい動きへと踏み出しつつある。
 しかし、ただ映画を輸入し、公開すれば済むという問題でもなく、あくまでも、これと同時進行的に独自の批評活動をも展開しなければならない。既成の映画批評家は“映画評判家”と呼ばれるほど、その批評精神に乏しい現状にあってはなおさらである。
 ただ、私たちが彼らに負けるのは文章力と、過去の作品の鑑賞数である。それを補うために、私たちは機会があれば一本でも多くの作品に接しようと、言葉の障壁を知りつつも、英語字幕によるフランス映画研究会を持ち続けているのである。
 さらに、情宣チラシを拡大した“シネアスト通信”を定期発行することにより、また批評会の設置など、批評活動の一方策を講じているが、参加する会員は少ない。