自主上映組織・名古屋シネマテーク

自前で常設館、談話室も
 
なかま 

朝日新聞 82年7月3日

  映画が好きで好きでたまらない、足しげく映画館に通ううち、見たい作品がかかるのが待ちきれなくなった・・・・その時、彼らは自前の映画館を作り上げた。
 名古屋シネマテーク。映画ファン約60人が金を出し合い、先月末、名古屋・今池の今池スタービル二階にオープンした。全国でも珍しい、常設の自主上映館だ。
 飲み屋、マージャン店などが入った雑居ビル二階のドアを開けると千冊を超える映画雑誌、本が詰めこまれた本棚が八つ。その奥の「談話室」で、8人の仲間がチラシを折っていた。
 これまで見た中で一番心に残った作品を挙げて、自己紹介。
 理事長・倉本徹(37)塾教師。「東京物語」
 事務局長・幡野一人(31)薬剤師。「近松物語」
 以下、スタッフ。尾藤宏(24)南山大4年。「夜行列車」
 水谷伸二(18)中京大1年「赤線地帯」
 奥田徹(20)名古屋大学3年。「甘い生活」
 平野勇治(20)南山大3年。「アラビアのロレンス」
 白戸純(28)名古屋市職員。「灰とダイヤモンド」
 紅一点・有本せつこ(29)家事手伝い。「明日に向かって撃て」
 シネマテークの前身は、46年にできた「名古屋シネアスト」。「座頭一」と「網走番外地」で青春を送った倉本さんが名大映画研の仲間たちと作った自主上映組織だ。その時のスタッフ5人に、「見せてもらう側ではあき足らなくなった」と白戸さんら3人を加え、シネマテーク事務局が生まれた。
 八人を無給、手弁当のこの仕事に駆り立てたのは「映画を見たあと、だれかと話さずにはいられない」、痛いほどの思いだ。シネアストの時代は、上映が終わるとすぐに借りた会場の後片付け、次の上映会場に向かう放浪の旅。「映画を通した出会いによる会話」(倉本さん)が生まれる余裕なんてなかった。ともに語り合う場が、どうしても欲しくなった。
 だから、今度できたシネマテークの最大の特徴は、20人余りがゆったりと座れる談話室。隣の上映室(40席)でみた映画を、ここでほめたり、けなしたりしてもらう。シネマテーク━映画資料館を意味するこの名を選んだのも、「単なる映画館では終わらせない」、8人の自負の表れだ。
 これからの上映作品は8人がそれぞれ見たい作品を挙げて、「過半数の反対がなかったら決定」という変則的な多数決で決めていく。8人の映画に対する考えはばらばら。見たい作品も「ドイツ映画」(
幡野さん)から「日本のヌーベルバーグ」(白戸さん)と多数で、半分以上の賛成が得られっこない、とお見通し。
 映画界の斜陽がいわれて久しい。名古屋圏の映画人口は東京の十分の一ほどとも。すでに百五十万円の赤字。前途は険しい。
 「自分たちの感性を信じて、自分たちの見たい映画がいい映画なんだと信じてやっていきます。ぼくたちの冒険がどこまで受け入れられうか、怖いけど楽しみです」(倉本さん)