・・・ナゴヤシネアストも功績
 
文化 

副題

 


朝日新聞 79年4月7日

  名古屋の愛知県中小企業センターなど二会場でインドの映画監督サタジット・レイの三部作「大地のうた」「大河のうた」「大樹のうた」が、このほど一挙に上映された。延々6時間に及ぶ大作の上映である。三部作のうち第一作「大地のうた」は昭和42年、名古屋の名宝文化劇場で公開されたものだ。ところが、その後、第二、三作は名古屋では一般映画館で公開されることなく現在に至っている。中小企業センターの一階席は満員である。圧倒的に若い人が多い。日本初公開(41年東京、続いて名古屋)の時は小、中学生であった世代の人々である。名作の持つ生命力、吸引力の強さ、これを支持し、受け継いでいるファン世代が確実にあることにまず感動したのである。

八年で二百五十本

 さて、ここに一人の男がいる。倉本徹氏。34歳。「ナゴヤシネアスト」の代表。名作映画の観賞サークルを仕切る一匹狼といおうか。今回のサタジット・レイ作品の公開も倉本氏の手になるものだ。昭和46年、当時、名古屋大学の学生だった倉本氏は、同大学の映画研究会で大島渚監督作品を上映した。これが契機であった。いらい、「ナゴヤシネアスト」の名称で八年間、実に258本の国内外の作品を上映して来たのである。このうち、名古屋初公開作品が33本も含まれている。ナゴヤシネアストの会員は現在約340人。入会金五百円、年会費千円。上映作品の企画、選定、フィルムのレンタル交渉、印刷物の作成、会場確保など諸々の作業は、ほとんど倉本氏一人がやって来た。いうならば、倉本個人オペレーションである。
 洋・邦画を問わず、わが国の映画興行界は興行収入−採算の取れそうもないフィルムは買い付けないし、当然、商業映画館では公開されない。そうでなくても、輸入はしたものの日の目を見ない作品もある。例えば、ルイ・マル監督の「鬼火」などは配給会社が昭和39年に輸入しておきながら倉庫で眠らされ、一昨年になってやっと東京、名古屋などで公開された。こんな例は他にいくらでもある。その作品のもつ今日性、芸術性の無視といおうか、作品完成とともに公開し、価値を問われるべきものが十余年間も放置されている−映画作家とファンに対する、あるいは芸術に対する、これは全く非情な興行−営利主義の仕打ちであろう。

監督育てたATG

 かって名古屋にはATG(日本アートシアターギルド)の提携館として納屋橋の名宝会館内に「名宝文化」があった。昭和37年、カワレロウィッチ監督「尼僧ヨアンナ」でスタートしたATG=名宝文化は、その後、続々と欧米作品を中心に公開し、映画ファンのよりどころとして気を吐いた。ファンもさることながら、東京、名古屋、大阪などでATG公開の映画を学んで、どれほど多くの新進監督が育ったことか。戦後映画史に残るべき功績である。
 ところが昭和47年、名宝会館の改修で名宝文化は無くなり、ATG作品の拠点も分散したのである。以後はミリオン座、シネチカなどで単発的に上映されるようになって現在に至る。
 ちょうど名宝文化が無くなるころと前後してATGそのものの本質も変わりつつあった。いわゆる一千万円映画と呼ばれた邦画作品の製作、配給である。洋画輸入・配給、興行の収益不振もあって、ATGは邦画の製作、配給へとその体質を変えていったのである。ATG五百万円、監督側五百万円、合計一千万円で製作、配給する方式。折半の額はその後ふえたが、現在まで一応その方式が続けられている。わが国の新進や力量ある映画作家の発言の場としてのこの方式の功績は確かにある。
 だが、となると、海外の旧作、新作で、恐らくは商業ベースに乗らないであろう秀作の公開場所はどこにあるのか。ここで改めて倉本氏の執念ともいえる“シネアスト運動”が大きな意義をもって登場するのである。東京とて同様である。岩波ホールを常設館とする「エキプ・ド・シネマ」が名作シリーズを上映、ファンの渇望にこたえている。

純粋な欲求みたす

 いかに名作であろうとも、映画の場合はメカニズムを通さなければ観賞出来ない。映写してこそ、映画芸術は成り立つ。東京のフィルム・ライブラリーとて、個人にその収蔵作品を上映してみせるわけではない。だが、みたい。その純粋な欲求。これが、当時の倉本青年のシネアスト運動の起点となったのであった。いらい、現在まで、国内外の名作の目白押し上映である。それは、かっての名宝文化を上回るほどの上映本数と観客動員を果たして来たのである。
 自力による映画−映像芸術・文化の開拓といおうか。会場の確保や、フィルムのレンタルの難しさなどの障害は書けばきりがないほどだ。赤字も出る。これは学習塾で得た生活費の中から補う。ちなみに、倉本氏は大学を出て一時は就職したのだが、シネアストに魅せられて退職、この道一筋の現在である。独身。「映画狂を通り越えた次元に私はいる」と苦笑し、また「サタジット・レイ・シリーズは収益が上がりすぎたかな。差し引きトントンが理想的なのだが」ともいうのだ。

機関誌も今月創刊

 さらに同氏は自分のアパートに映画専門書550冊と雑誌をそろえ、会員に無料貸し出しもしている。また、四月一日発行で「L'esprite de CINEASTE」を発行した。別冊シネアスト通信の第一号。50ページの機関誌で、各地の会員が全く自由に映画について発信している楽しい雑誌だ。将来は季刊にしたいという。
 映画はますます不振の時代だといわれている。だが、不振なのは映画そのものではあるまい。不振なのは映画興行なのである。その商業ベースによって葬りさられた多くの秀作。これを掘り起こす一人の人間と、彼を支持する多くの人々と・・・。サタジット・レイ・シリーズの、その深い映像にひたりながら、思いを新たにしたのである。

(編集委員・山川和男)