シネマテーク通信98年1月10日

 6年前、小川紳介との別れは、辛く悲しいものであった。今年、また一人、永遠の別れを告げることになってしまった人がいる。菊川亨さんである。
 菊川さんとの出会いは、しかと思い出せない。どこかで最初にお会いしたのであろうか。映画上映会場なのか、バイト先の名古屋松竹のときであろうか。丁度、「寅さん」が初めて製作された頃である。
 出会いは関係のないことであろうが、それは、自然と私の中に入ってしまった菊川さんの人柄に由来することなのかも知れないと、今では、妙に納得してしまっている。
 何年だったか忘れたが、あるスポーツ紙に[夢野見過]の筆名で連載していた頃、ナゴヤシネアスト(名古屋シネマテークの前身)を扱った原稿を改ざんされ、それが原因で連載を止められたことがあった。そのときには、反骨精神のある人だと感じいっていたのだが、酒を飲まない菊川さんとは、じっくり話し合うことが無く、彼のバックボーンを知らないまま、今日を迎えてしまった。
 昨日、彼が少年航空兵だったということ、広島の原爆を間接的に経験していること、生徒たちにも語部(かたりべ)として、それを伝えていたことなどを知り、もう少しお話がが出来ていれば菊川さんの根底を流れる何かに触れる機会があったのではないか、と悔やんでいる。
 激動する(名古屋)映画界にとって、かけがえのない人を失った痛手は大きい。行年70才。早すぎる死であった。
 
編集部より
 今号は、菊川亨さんの追悼号にしました。
 菊川氏は、高校映画連盟事務局長に長年携わっておられ、高校生に映画の面白さ、楽しさを語られていました。その影響を受けた学生は数え切れません。寅さんファンクラブ名古屋地区会長でもあり、『忘れえぬショット』『菊川亨の映画講座』の著書があります。
 82年に、シネマテークが設立する以前から、金銭面だけに限らず、精神面でも大変お世話をお掛けいたしました。当館のお目付役も引き受けて頂きました。菊川さんの冥福をお祈りしたいとの思いから、関係の深い何人かの人に原稿を依頼し、メモリアルとして特集を組させて頂きました。
   執筆者:先生はいつも夢の見過ぎだった 牧野鐘徳
        菊さんへ               服部加予子
        思いで                水谷伸二
        『男の顔は履歴書』         荒川邦彦