あとがき
 
93年9月1日発行

 なぜ本書を出版するに至ったかは、やはり小川紳介+小川プロとの出会いからはじめなくてはならないだろう。
 1973年、小川プロは『三里塚・辺田部落』の全国縦断上映をめざして、上映隊を各地に送っていた。そのとき名古屋・岐阜地区の担当だった福田、野坂両氏との出会いから、小川プロを知ることになる。当時大学生だった私は、映研の活動が高じ、自主上映を初めていたが、その三年目の夏のことだった。彼らから上映のイルハを教えてもらったことを、思い出す。
 それまでの私は、記録映画にはプロパガンダ的な要素が強いと決めつけ、積極的にみることを避けていた。だが、『三里塚・辺田部落』をはじめてみたとき、その認識が決して正しくはなかったことに気づかされる。そこに描かれた世界は、まさに人間そのものであったからだ。成田空港に反対する農民のゆるぎない土への思いと、それを国家の論理で踏みにじろうとする公団側の傲慢さを描き出すのみならず、なによりも小川紳介その人の、被写体たる農民を見る目の優しさと鋭さが、私の脳天を叩きのめした。そこでは、日々の暮らしの中で、闘争が営みのひとつとして語られ、おばちゃん達のおしゃべりは、時としてユーモアさえ感じさせた。あまたの農民たちが土に生きた歴史の長さまですけてみえてくるようだった。
 77年、『三里塚・五月の空 里のかよい路』が完成したにもかかわらず、政治は冬の時代を迎えており、地方には受け入れる場もない状態だった。やむを得ず、私達、ナゴヤシネアスト(名古屋シネマテークの前身)の手で上映することになった。この78年3月を契機として、爾来、小川紳介+小川プロとの連帯が始まる。その要因としては、映画に携わる真摯な貧乏集団としての在り方への、憧れもあったかもしれない。だが、持ち場こそ違え、私に映画と共に歩む持続の精神を植えつけてくれたのは、まさしく彼らにほかならなかったように思う。
 時は流れ、『ニッポン国古屋敷村』(82)、さらに山形県牧野村での18年間の総決算でもある『1000年刻みの日時計』(86)の名古屋上映を担当する我々のところに、プロデューサーである伏屋氏以下小川プロ一行が情宣のためにやって来たときのことだ。小川紳介作るところの《水ぎょうざ》や《煮込みうどん》、《鳥のビール煮》(これらがまた絶品であった)、同郷の牧野剛氏(河合塾講師)作るところの《五平餅》などに舌づつみをうちながら夜を徹して語り、飲み明かしたものである。
 彼のしゃべりはまるでマシンガンのように留まるところをしらず、口角沫を飛ばすは、彼一人といった調子。たとえば世界の名も知らない若き映画作家たち(その中には候孝賢や李長鎬の名があった)との出会いと彼らのすばらしい資質を声高に語る彼は、映画の導師とも思える風格に満ちていた。また、上映作品の深層部分を語り部さながらにしゃべり、次回作の壮大なる構想をも説く彼の宇宙の中に、いつしか旅をさせられている自分に気づいたこともたびたびだった。その構想の一つに、山の民をテーマにしたものがあり、「三里塚シリーズ」から「牧野村シリーズ」への自然な流れの中に一貫して見られる水や気候の自然現象、稲作や村落の歴史を踏まえながら、《農》の原点へ遡ろうとする彼の執着が濃厚に出ていた。
 難病にかかった、と映画新聞の景山氏から伝えられたのは、89年の第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加した折、牧野へCJ(シネマテーク・ジャポネーズ/全国の自主上映の連合体)のメンバーともに彼を訪ねてからほどなくであった。あの忙しさと強靱な体力への過信、今ならさしずめグルメともいうべき食べ物へのこだわりが災いしたか、と茫然となる。
 その後、三重県の津で開催された自主上映フォーラムで彼に会った。手術の経過も順調そうにみえた彼は、これまでに撮った未編集のフィルムも挿入しながら「三里塚」の今を撮りたいという。そこには《農》を知らずに撮っていた頃には見えなかったものが、今こそフィルムにとらえることができ、自分たちの原点である「三里塚」の本質に迫れるのではないかとの想いがあったようだ。この構想だけは、実現して欲しかったし、実現させたかった。必ずや、新たなる三里塚を私たちにみせてくれるに違いない。
 最後の病床で、モルヒネを打たれながら無意識のうちに編集作業をやっていたという彼は、もういない。しかし、彼の残したものの万分の一でも私達が明日に繋げていかなければならない。
 その一歩として、92年6月、《小川紳介追悼上映会》を名古屋でも開いた。それに関わった若いスタッフが、小川プロの作品群に感銘を受けたという嬉しい話もあった。同年大阪の映画新聞からアテネフランセ文化センターでの追悼上映会の講演禄「小川紳介を語る」が出版された。だが、世界的な映画作家であるにも関わらず、未だまとまった彼の発言集が世に出ていないのは、さみしいことであり、いっそ、私達の手で本をつくろうという話が持ち上がった。87年の『1000年刻みの日時計』の名古屋上映にからめて行った「小川プロの映画術」と題した四夜連続のワークショップを、一冊の本にまとめようというのである。そして、92年6月の《追悼上映会》に際して「小川紳介の映画を語る」と題して御講演いただいた蓮實重彦氏の講演録を添えて、この書を世に送り出すこととなった。(その後、筑摩書房より山根貞男氏編の「映画を獲る」が刊行される運びとなり、喜ばしいと思う)
 ただ、残念なのは、当然彼の肉声をお届けできないことだ。小川紳介ほど、エネルギッシュに、人をひきこむ話を何時間も続けられる人を私は知らない。加えて彼は美声でさえある。今回もテープおこしの原稿を読みながら、あのよどみない独特の口調がよみがえってきて、しばしききほれるといった具合である。と同時に、もう二度とあの話をきくことはできず、次回作は撮られることはないのだと思うと、大きな喪失感におそわれる。本書が、この四夜にかけた小川紳介の情熱をどれほど伝えきれたかははなはだ心もとないが、少なくとも彼の映画への熱き思いを読者の方々に感じていただければ、スタッフ共々望外の幸せである。
 なお、当叢書の出版に当たり、講演録の掲載を快諾された蓮實重彦氏。小川紳介氏の講演録の校正及び写真を提供していただいた小川プロの伏屋博雄、白石(小川)洋子両氏、校正とともに技術面の注を書いていただいた小川プロの田村正毅氏、発売元を引き受けていただいた風琳堂の福住展人氏。さらに、当叢書のために協力いただいている荒川邦彦、岩崎喜代子、大橋正信、小西孝直、小西昌幸、後藤幸一、榊原謙二、鈴木達也、辻井一敬、西尾美登里、幡野一人、平野勇治、松林正巳、安川喜久子、山田鉄夫、山田寿男、石原開ほか河合塾映画研究会のメンバー、以上各氏に厚くお礼申し上げます。

定価(税込み1800円)
[講演・解説]小川紳介の映画を語る
蓮實重彦

 @鈴木清順  定価(税込み600円)
 A木村威夫  定価(税込み700円)
B岡本喜八  定価(税込み700円)
C
マキノ雅広 定価(税込み700円)