活動開始8年を向かえるに際し、世間では馴染みの薄い”8周年記念事業”として、ここに準季刊評論誌
     L'esprit de CINEASTE
を発刊する。
 当会の準月刊情報誌【シネアスト通信】と補完関係にあり、受け手である我々からの生きた映画への積極的アプローチである。




L'esprit de CINEASTE  bP
79年4月1日発行

 私が始めた71年頃に較べて、所謂自主上映グループは増えている。その要因の一ツに地域情報紙(名古屋では唯一プレイガイドジャーナル、東京ではぴあシティーロード、京阪神では当地と同名のプレイガイドジャーナル)の一応の地位確立が挙げられよう。結果、マスコミなどでは相手にされなかった個的な催し物にもスポットが当てられ、広範囲に情報伝達が可能になったからである。
 名古屋に於いては、個人映画を中心にしたT&G、自主製作映画を中心にした“”、映画村運動に呼応した名古屋映画村、無声映画を中心にした老人会的名古屋無声映画鑑賞会、日共系列のよい映画を見る会及び映画サークル、新しいところではミーハー集団シネマ・ジャクソンなどがあり、少し郊外に目を向けると、岐阜にシネマ・ディスクール、岡崎にはサーカス・パニックなどがあるが、不思議と他都市程には増加していない。その原因には色々あろうが、ここでは名古屋の特殊性、地域性とだけ言っておこう。
 そして、それぞれのグループは独自の価値感を持って活動しているのであろうが、一ツの主張を明確に打ち出しているところは意外と少ない。
 では、当ナゴヤシネアストはどうか、と問われれば、これまた確たる行動理念を持っているわけではなく、現時点に於いては、ただ単に、倉本個人の趣味・シコウによるところが大きく、運動体としての形態は備わっていないといっても言い過ぎではない。故に、その永続性も極めて不安定である。
 しかし、何時のまにか8年の歳月が流れ、思わぬ市民権を得てしまった感のある今日、一ツの方向性とか理念らしきものを掲げる必要が生じてきているのではないかと思ったりもするが、その挙げ句に当会からゲリラ的要素が消え失せてしまう危険性もあり、如何様にすべきか迷っている。
 一概に8年と言っても、巻末の上映記録でもお判りいただけるように、決して、最近のようなペースで上映を続けてきたわけではなく、その時々の資金事情などによって中断もし、卒業と共に手を引いた期間(この期間、高木修、山田善彦らが独自の活動を展開)もあったのだから、8年の歴史には水増しの色が濃い。
 さらに、自主企画を生活の足しにすべきではないと、今でこそ公言してはいるが、当初は呼び屋的発想も無かったとは言いきれないのだから、大きなことは言えない。これが吹っ切れたのは75年以降であり、かなりの時間がかかったことになる。しかし、それでも、自分の見たい作品を上映することを第一義に考えて企画を展開していたのだから、その基本姿勢だけは、昔も今も河ってはいない。
 昨今、自主上映という言葉もかなり風化してしまったようだ。ただ映画を上映すれば自主上映だと思っている輩が多くなってきた。主催者自身が見たいと思ってやっているのかどうか判断しかねるようなものもあり、又、地域相対論によって、映画館のない村の人々に映画を見せてやるのだといった慈善面した発想(地域の文化環境へのアピールであり、積極的な変革への試行錯誤だと本人は言う。上映作品は理力の映画『スター・ウォーズ』)で行う人達も出てきているのだから、時代の変化を感じない訳にはいかない。
 私達は、決して地域相対論のようなもので上映しているのではない。見せてやるのだといった奢りなど微塵も持ち合わせていない。自分の欲求を抑え切れないからこそ行動しているのであり、基本的には自分が見てしまえば、態々他人に見せる為にだけは上映する必要などないのだ。
 こう言えば、東京へでも行って見てくればよいのではないかと言われるかも知れない。確かにその方が楽ではあろう。しかし、そのように出来ないのは、私自身の生き方にも原因があるのではないかと思う。
 私自身、現在の上映方法が最良だとは思っていない。見るだけならば、今の方法は良くない。労苦の割には報われることは少ないし、第一、映画をじっくり味わえない。動くことによる自由時間のロスも大きい。では何か方法がないかと考えてみたりもするが、良案がない。
 ある人が言う。十数人の仲間が集まって、身内だけで見ればよいではないか、と。確かに一時の満足感は味わえるやも知れない。しかし、それだけでは状況変化に何ら寄与することはない。牛歩でもよい。一歩一歩確実に、我々が満足出来る状況(環境)を作っていくことこそが大切だ。それも我々の手で。
(追)雑文になったが、9月発行予定の当誌に自主上映論を展開したいと思う。