頑固な夢
 
映画新聞91年11月1日

山形国際ドキュメンタリー映画祭'91リポート

 ハンガリーの一寒村ラーバジャルマトを舞台に、そこで繰り広げられる年一回の村芝居への村民の関わりや想いを描いたこの作品は、ドキュメンタリーというより、演出色の強い作品であり、画面に登場する人物の多くは、日常を見せながら演技に余念がない。今回の映画祭の出品作品の多くに言えることであるが、記録映画と劇映画の垣根を越える作業の実践が世界各地で行われているようだ。このような中で、違和感のない仕上がりがみせたのが、この作品である。
 さて、映画は、前回の反省会から始まる。その席で「村芝居」の演出を担当している校長先生が、次に上演する作品を発表し、役者は誰だれ、と指名していく。そして暇をみつけては稽古の明け暮れ。アコーデオンで夜明けを迎えることもしばしばあり、そこで人生が語られるのは当然のことであろう。上演当日の打ち上げは、村人が総出の《ハレ》の場に早変わり。祭りの後の寂しさをただよわせながらも心地よい余韻を残して、映画は幕を閉じる。
 振り返ってみれば、日本においても過去のある時期までは「村の鎮守」における村祭りは、村落共同体の《ハレ》の部分として盛大に繰り広げられていた。それは収穫後の労働の疲れを癒す場としての機能とともに、日常生活の《ケ》の部分からの一時の脱却であった。しかし、過疎化の進んだ現在日本においては、持続した《ハレ》の営みを続ける「村祭り」の多くは観光化され、商業化され、決して村人の憩いの場とはなっていない。
 このハンガリーにおける「村芝居」は、村人たち共通の唯一の楽しみとして純化させながら、過疎化のために次々と消え去る他の村を尻目に、村民を繋ぎ止める役目を担っているという。しかし、場面に現れる多くは年長の人々であり、鉄道が廃止されてから久しいこの村にも、すでに過疎化は進行しつつあるようだ。さらに、価値観の大転換期を迎えたこの国において、ここの村人の価値観もまた大きく変わらざるをえないのは明らか。そのとき、人間関係の温かさを作り出すこの「村芝居」が、経済的な豊かさと引き換えに人間関係を失った多くの人々の轍を踏まないことを願い、『頑固な夢』をいつまでもと願うのは、作者のみならず、私たちの身勝手な望みであろうか。