全国上映に向けてC




 
映画新聞 88年4月1日発行

 小川プロとの真の出会いは、73年の『三里塚・辺田部落』にさかのぼる。三里塚農民の不屈の戦いの根っ子をとらえたこの作品に感動し、打ちのめされ、その後の小川プロとの長い道行きとなる。
 私が、この作品に感動し、打ちのめされた点は4つある。
 一つは、戦闘シーンがないにもかかわらず、戦う農民の姿勢と緊張感が伝わってきた点。一つは、いわゆる記録映画にもいわゆる劇映画以上の劇映画としての要素があることが発見できたこと。このことは『1000年刻みの日時計』の劇中劇を撮るのと同じ発想で、いわゆる記録映画を作っていたのである。また一つは、製作者側の被写体に対するやさしさが、色濃く表現されていたこと。一つは、<農>の奥深さが、自分なりにわかったことなどである。
 その後、『三里塚・五月の空・里のかよい路』、『ニッポン国・古屋敷村』など、小川プロダクションの名古屋上映に加担し続け、さらに、78年末と83年には小川プロ全作品の上映会を実施。そして、今回『1000年刻みの日時計』の名古屋上映に取り組むことになった。
 上映の具体的な方法については後で述べるとして、「名古屋シネマテーク」の宣伝を、少ししておきたい。当館は<自主上映館>として、名古屋は今池の地にオープンしたのは82年6月のこと。それ以前の10年間は、ホール等を借りての上映であったが、時代の要請から専用スペースの必要に迫られ、百数十名の出資者によって設立された。爾来6年の歳月が流れ、逞しく生きのびてきている。これを支えてくれたのは、若きスタッフであり、積極に支援してくれた人々である。
 さて、話を『1000年刻みの日時計』に戻そう。
 小川プロダクションが山形の牧野に移り住んでより、<稲作>の記録映画を作っているとの噂を聞いていた。その間に『ニッポン国・古屋敷村』が発表され、この作品もまた私を打ちのめす。小川プロへの想いは、ますます募る。進行中の『牧野物語・稲暦』の完成が待たれる時期でもあった。
 この作品の製作状況は小川プロに魂を取られた某氏の発行される「映画新聞」に刻々と伝えられ、86年末、完成したとの情報が届く。当然の結果として、東北地方での上映が全国に先駆け実現していく。さらに、88年7月京都での「千年シアター」
 初日、「千年シアター」の見学と、魂を抜かれた某氏と小川プロの面々との再会を兼ねて上洛。
 土と
藁と木でできた手作りの劇場「千年シアター」と映画『1000年刻みの日時計』のシンフォニーに、この映画の理想像を見る。
 名古屋での上映も、このマッチングしかないと考え、帰途につく。当然、自由さを謳歌した『1000年刻みの日時計』の一コマ一コマを反芻しながら。
 <土と藁と木でできた手作り>の劇場を作るためには、土地と金と人が必要である。そのいずれを外しても実現は不可能。金と人はどうにかなりそうであったが、土地の問題で暗礁に乗り上げた。適当な場所と空間が有り、長期に安く、かつ、希望時間に借りられるスペースがないのである。
 そして、昨年の東京上映オープニング・イベントを迎える。各地の勇ましい報告と展望。それに引き換え名古屋の暗さ。
 月日が流れ(1000年のスパンから較べれば、微々たるものだが)4月6日、小川・伏屋両氏来名。名古屋上映の素案を協議。ほぼ、決定する。
@4月14日〜19日の6日間
(場所)名古屋シネマテーク
先行試写と上映の行動部隊の組織作りを兼ねた企画
午前 小川プロの旧作上映
午後 『1000年刻みの日時計』
夜間 講座・小川プロの映画術
※講座内容/講座というと堅苦しいが、小川プロの自由な発想による企画。ビデオ有り、スライド有り、フィルム有り、未公開フィルムの上映有り。レクチャーは、小川プロの面々以外に名古屋サイドからの飛び入り有り。料金は、自由円。
A8月24日・25日
(場所)中小企業センター
構想として、音楽有り、講演有り、その他有り。
B9月8日〜27日(予定)
(場所)名古屋シネマテーク 本上映
C7月〜12月
名古屋周辺都市での上映。
※上映希望者は小川プロか名古屋シネマテークまでご一報を!


 これからの作業は、上映実行委員会の組織作りと企画の具体的な詰め、動員体制の確立と周辺都市への上映要請など、多くの課題が残されている。
 特に、この時期に必要なことは、組織作りであろう。小川プロを知らない若者たちをどう組織していくのか。この層を抜きにしては成功は有り得ない。さらに、食の問題に取り組んでいる人々との連携をどうしていくのか。最終的な成功の鍵は手売りチケットを何人の人に何枚預けられるかに懸かっている。第一次動員目標200人400枚。
 多くの問題を山積みしながら、『1000年刻みの日時計』の帆を上げて、名古屋は出帆する。